偽人間の性質5

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 彼らは不正しかできず、これを抑制する能力もないのに、非を認めると劣等感で自殺したくなる性質を持っているので、他人から非難をされ、ごまかしの余地がなくなると、命懸けで相手を滅ぼしにかかるようにできている。それでいて何の責任も取らず、ただ罰せられ、そのことに恨みを抱いて仕返しを繰り返しながら滅んでいくのみである。他人に被害を与えたから責められているのに、「俺たちを責めるお前だって嫌な奴だ。そんなことでは俺たちの同類でしかない。異なる考え方を受け入れられない不寛容は害悪でしかない」などと、理屈の濫用で言い返しをすることしかしない。価値観は他人の自由だが有害な価値観を実現しようとしたらそれは不正であり非難され罰せられることになる。「有害なのはお前だ」と彼らが言い返しをしたところで、黙れ嫉妬屋の犯罪者。黙って頭下げて支払いだけしてろ寄生虫(誰だってこちらを殴り続けるためだけに発せられる彼らの屁理屈を聞いていたら、不愉快な気持ちになって「喋んな害虫」と言いたくなるのは当たり前であり、これは私のせいではなくあちらの自業自得である。それで私を怒らせてわざと悪辣な態度を取らせ、揚げ足を取ろうとしていることも分かるが、それは子供が相手を虐めて腹を立てさせて「お前だって醜い感情持っているじゃねえか」となじるやり方であり、その程度の社会的な態度しか取れない生き物に対して「自分の見せ方」にこだわる理由はないし、敬意を払ってやる価値もない。そうやって口先だけの屑アスペとして間違った理屈を吐き続け、常に否定され続けて生きてきたのだろうな。社会の公正性やマナーを弁えない屑にまともな態度など取れるわけがない。「お前が言うな」と彼らは言うだろうが、それは彼らが自分たちの有害性を棚に上げているからでしかない。彼らは自分たちの悪辣さ、醜い嫉妬深さ、犯罪行為を棚に上げて、「俺たちに敬意を持て」と偉っそうに主張するのである。醜い盗賊で他人を害して批判も受け入れられずに犯罪を繰り返してはお目こぼしをねだって媚を売り続けるだけの屁理屈野郎のくせに、何が敬意を持て、だ。法など完全に無視の文明を食い荒らすだけの寄生虫に対しては文明人としての取り扱いなどできるはずもなく、ゴキブリと同じで気持ち悪がられてなじられるのが当然である。せめて人間扱いされるだけの最低限の客観的正義くらい守ってから喋れ。彼らは長い長い歴史をかけて文明に寄生し続けてきたが、もうそれも法的に許されなくなる。そうなったらごまかしが通用しない。しかし彼らは醜い人格を直すことができず、罵詈雑言を吐きながら文明から滑り落ちていくことになる。彼らにとっては自分たちの身が可愛いものだから、「こんな理不尽があってたまるか!」と悲しみを示すのだろうが、客観的な思考ができる文明人はこれを見て、「自業自得だ虫けら。ざまあみろ」としか思わない。理不尽なのはてめえらであって、社会ではない。こうした発言をしてもいいほど醜い生き物がこの世からいなくなれば、私は世間に対して礼儀正しい態度を取るようになるだろう。物事は文脈によって決まる。私は公正な対応しかしない。この態度に対して彼らは、自分たちの醜い行いを棚に上げて、「そんな失礼な態度を取るとは何事か」と腹を立てることになる。彼らは自分たちの醜さを棚に上げて他人を批判するので、間違ったことしかしない)。

 ところで前にも述べたが、彼らはしばしば「自分たちの有害性を他人事のように第三者視点で語る」ということをやる。これもまた彼らの無責任性や開き直りの表れであり、有害な発言でしかない。

 「正義を盾に取って言いたい放題言うな」と彼らは言うのだろうが、正義というのは被害者を守り、加害者を罰するために存在するのであり、言ってしまえば盾に取るために存在するものである。正義に反しないならば、それを選択するか否かは個人の自由なわけで、彼らの憎しみを煽ることになってもいいかどうかは私の選択の問題であり、彼らがこれに対して苦情を申し立てることはできない。それは私の意思を侵害する強要および脅迫罪である(彼らはこのような自分たちの感情に合わない説明を「中身のない空論」だと考える。だからこういう説明に対して「理屈ではそうだろうけどそんなもの受け入れられるわけがない」と考えるのである。それが有害性の証拠だよ自覚しろバーカ)。

 私が彼らに憎まれ、叩かれることを厭うていないのは、もはや彼らの言葉や評価に何の価値も見出していないからである。彼らは死刑の罪を負って拷問を受け続ける嫉妬深い醜い寄生虫であって、彼らからの嫉妬や憎しみは、「こちらの優位性と彼らの有害性を確認しつつ、カネ儲けにもなる。しかもそうして彼らに暴れさせることで、文明に対する敵を淘汰することもできる」という点でこちらの得にしかならない。もちろん「優位性の確認」というのはあくまで一応のものであって、私は他者の行動や評価で自己の立場を確認せねばならないような、他者依存的な思考をしない。だからこそ彼ら全員に憎まれたところで、私は何の支障もなく生きることができる(もちろんこちらの正当性を示すための活動と制裁は行う)。彼らの憎しみは彼らの醜さに由来するものであり、私の人格の問題ではない。これまで受け続けてきた虐待及びその他の人権侵害、あるいは今後に行われる侮辱や名誉毀損は、本の売り上げで回収できるようになっているし、報酬も正当に与えられる。だから私は彼らを煽ることになっても正しい主張をすることに合理性を見出しているのであり(もちろんここには報復的な意図もある。彼らの醜さから生まれた不愉快は、彼らにお返ししてやるのが正当である)、それは個人の自由の範囲である。それで社会が混乱するとしても、正しい主張に対して反省もできず、逆ギレして暴れる彼らがいけないのであり、私には責任はない。暴れないならそれはそれで平穏だし、暴れてくれるなら利用してやればいい。勝手にしろという話だ。

 プライバシーや名誉権というのは、「公益的な必要性」によって制限される。文明社会に対する害を排除し、健全かつ公正な環境を得る活動に対しては、プライバシーや名誉権を理由にこれを妨害することができない。もちろん排除すべきは社会的な有害性であって、有害な結果をもたらした犯罪者ではないが、日本人は思考構造上、有害な性質を捨てることができないので、結果的に、彼らを社会的に排除することが「有害性の排除」であることになる。

 これは何ら差別的な結果ではなく、正当な区別に基づく取り扱いである。もちろんそれは権力的に行われるのではなく、あくまで個人の正当な自由意思を基準に行われるのでなければならない。個人が差別的でない合理的かつ正当な理由から、自らの選択で特定の民族を避けることは、個人の意思の下に許される行動である。それに対して反抗して、個人につきまとい、ぶちのめし、能力を壊して監禁するのは犯罪であり、認められない。

 彼らはこちらの世界では不正な情報隠蔽権(プライバシー権)の行使によって国際社会から見捨てられずに国家として生き残っているが、四次元世界においては全ての民族に対して罪を負っており、全員に嫌悪されている。それゆえ世界中の忌避の対象となり、孤立したまま潰れていくことになる。

 妥当な結果に対して不満を抱き、腹を立てるのは有害な思考である。妥当でない結果に対して不満を抱き、腹を立てるのは公正な思考である。たとえば集団で強姦された挙句、半殺しの被害を負った者が、加害者に対して憎しみを抱くのは「公正な思考」である。これに対して、その被害者が加害者を罰し、賠償金の支払いを受けながら成功の道を歩んでいくことに対して、加害者が「俺たちを見捨てて滅ぼしておきながら、のうのうと成功者になって活躍しやがって」と憎しみを抱くのは、「有害な思考」である。私は前者の思考を抱き、日本人は後者の思考を抱いている。違いは歴然である(彼らはやたらと「お前も同じだ」という言葉を吐くが、彼らほど醜い生き物はこの世に存在しない)。

投稿者: 林洋佑

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